1998年 歌舞伎町 コマ劇場 ヤクザがいた時代

Tokyo

1997年 四大証券会社である山一証券が突如破綻した。当時の社長が「社員は悪くありません。。」と涙ながらの会見をしたのは鮮明に記憶に残っている。当時バブルの後始末で徐々に景気は悪くなっていったが、この事件を機に、北海道拓殖銀行や、日本長期信用金庫が潰れ、いよいよ不景気を実感するようになった。

 ようやく高田馬場を出て、中野区の新井に、5.6万円のアパートに引っ越した。のでキャバクラは卒業したものの、浮いたお金で週末は歌舞伎町の点10の雀荘に入り浸って遊んでいた。赤牌が6枚あり、ギャンブル度は随分高くなったが、勝ったり負けたりしつつ常連となった。たまにプロの雀士の方も遊びに来るようなお店で、ヨーコプロや、二階堂亜樹プロと打ったのは良い思い出だ。お二人共に雑誌で見るよりはるかに美人さんでありお上りさん、二階堂亜紀プロ相手に、小四風(役満)の北単騎待ちをテンパイし、北牌二階堂プロに北牌を一点止めされ流局したのは、長い麻雀人生のほっこりイベントの一つだ。

 当時の歌舞伎町はコマ劇場がランドマークであり、劇場前の広場に若者が意味もなくたむろしていた。そういえば殴られ屋が居たなあ。またそれを眺める家出少女がいたり、女が明らかにヤクザと分かる人も普通に歩いており、行き場のない人が集まる街が新宿だ。。

コマ劇場前広場

中国マフィアが歌舞伎町に進出してきた時期で、風林会館で中国マフィアの銃撃事件があった。

 沈みゆく日本と勢力を増す中国の圧力を感じつつ、これで良いのか日本(と俺)と自問自答(雀荘行ったり、風俗行ったり)してました。

歌舞伎町案内人「李小牧」が有名になったのもこの頃だ。李さんが、中国から来た観光者に対し歌舞伎町の良さげな飲食店・風俗店を案内して、店からキックバックを貰うという何とも商魂たくましい商売である。押し寄せる中国本土の観光者をなじみの店に案内し、しこたま稼いで、自分のお店 湖南料理店「湖南菜館」をオープンさせたのが記憶に残っている。

そんな1990年代の歌舞伎町コマ劇場であるが、今や電脳「龍が如くの神室町」内だけとなってしまった。もはや心の中の街なんですねぇ。コマ劇場前の喫茶店は現実世界には無いか?無い無い。

「聖地巡礼」https://mura-life.com/kamurotyou

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