江戸時代も令和も監視社会

日本史

 江戸時代は、政権の安定が最大の存在価値となっており、社会の至る処に、相互監視的な仕組みが張り巡らされていました。

 藩レベルになると、藩が出来た時点での家の格(お殿様への貢献度)により、仕事内容、出世の上限が決まり、そこを乗り越えようとしようものなら、壮絶な足の引っ張りに会い、仲間外れにされ、最悪お家断絶の憂き目となります。

身分不相応な事をした場合パブリックエネミーとなりイジメられて当然との見えないお墨付きが出されるのが常でした。

このイジメ文化は、良くいえば、不文律のローカルルールが組織毎に存在し、日本人は頭を使わずともローカルルールに沿って生活さえしていれば、社会的な秩序が保たれると言えます。良いか悪いかは判らないですが、、

幕府→藩の監視は隠密に蜘蛛の巣のようにより張り巡らせており、城の改修、武器購入を勝手に行ったら、すぐに密告され、転封お取り潰しの口実にされました。特に2代秀忠、3代家光時代は取潰しが活発だったので、それを回避すべく前列(お上の通達)に従う主義が、悪い意味で、全国津々浦々の藩に定着しました。

バカ殿様がトンデモ政策(無分別な婦女暴行、狼藉等)を行なうと、幕府隠密のチクリによりお家断絶の危険があるため、藩(自分の会社)の存続を最優先に考える家老達が、バカ殿様を押し込め、藩主交代させることが、しばしば行なわれたそうです。

農民の場合は5人組なる相互監視組織が組まれ、1人が脱走しようものなら、残りの4人が、連帯責任で、5人分の年貢を納めないといけないという厳しい縛りもあり、村の掟に従わない者には村八分という現代社会にも通じるイジメがありました。

一番風通しが良かったのが、商人であり、商売をサボッていると、3代目位で潰れてしまうので、気が抜けません。江戸初期は、大名貸しという藩とズブズブの金貸し業でウハウハな事もありましたが、藩財政が悪化すると金貸しはけしからんと言う謎理論で、借金帳消しになったりと理不尽極まりない展開になったりしています。

そんな理由で商人はさぼっていたり、世情に無頓着(時流を読まない)だと、淘汰されてしまうため、常に努力することが求められており、割合健全な職業分類ではなかったかと個人的に思います。

 令和になっても、脈々と同調圧力は引き継がれており、マスクをはずして電車に乗ろうものなら、皆の目線を強く感じてしまいます。良くも悪くも横並びで、いい大学、いい企業に新卒で入って、定年まで勤めあげるのが良いという謎の風潮が今なお続いていますが、人生もっと好きなことをして生きていっても良いのではないでしょうか?人って以外としぶとい生き物ですから\(^o^)/

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