16世紀、ヨーロッパではカトリックのお坊さん達が、怠けまくってる癖に、男色したり、免罪符で金をふんだくっているのに、額に汗して働くオランダ、ドイツ辺りの商人が流石にブチ切れました。
そして、ルター・カルバンをはじめとするプロテスタント(働き者は救われる)への改宗の動きが活発となりまして、、カトリックだった民衆が継ぎ継ぎにプロテスタントに乗り換えました。
ビッグウェーブ到来です。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
欧州で勢力を拡大できなくなったカトリックが、アメリカ新大陸・アジアでナワバリ(信者)を獲得するというミッションを受け、イエズス会のザビエルをはじめとするカトリックの宣教師が日本に布教にやってきました。
戦国時代に九州・西国には、戦国大名が南蛮貿易による利益を見込んでカトリックの布教も進みましたが、しかし、、信長の後を継いだ秀吉が天下統一すると、奴隷として日本人を連れ去ることと、侵略の地ならしとして布教していることに看過できない!として、キリスト教の布教を禁止しました。
晩年の秀吉は老害と呼ばれることも多かったですが、この点は天下人らしい賢明な判断をされていますね。(^^)/
さて秀吉の後を継いだ徳川家康ですが、この頃になるとスペイン・ポルトガルの勢いはやや弱くなっておいました。
関ヶ原の10年程前の1589年、スペイン無敵艦隊が、アルマダの海戦でイギリス艦隊に負けています。
そして、プロテスタント国であるオランダ・イギリスが勢いを伸ばし、インドネシア等を植民地としています。
んで、オランダ商船の船員であった、イギリス人ウィリアス・アダムス(三浦按針)、ヤン・ヨーステンが家康と懇意となり海外情勢・航海技術・大砲を家康に伝えています。オランダ(プロテスタント)は、布教をしなくとも貿易は出来るという点が評価され、江戸幕府公認のヨーロッパの貿易相手として、長崎・出島への出入りが許されました。
江戸時代は鎖国で国を閉じていた!と昔の教科書から教わりましたが、オランダ・清・朝鮮等、貿易を続けたことにより海外情勢は日本にもしっかり伝わっていました。
江戸にも、オランダ商人の宿舎はあり、新しいもの好きの江戸人(平賀源内等)と交流したと言われています。
オランダ商人からの情報で、米国(ペリー)が日本へ来航することも早くから幕府に伝わっていたそうです。
歴史にもしもはないですが、信長が長生きしていれば、16世紀版大東亜共栄圏を作ったであろうし、カトリックの布教を認めていれば、(神道・仏教)とキリスト教の信者で国が分断されていたかも知れません。
現在キリシタンは日本国民の1%以下ですが、私は日本は今のまま日本独自の宗教感を持った国となったことで、どの宗教の国とも諍いなく付き合える数少ない国となり良かったと思います。
日本 (^o^)/ またね~
欧州 :-) see you
やっぱ日本の顔文字だな!(日本人だけに)
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