日本人の性格について

お江戸探訪

日本人は判官びいき(負けたものに優しい)と言われるが実はそうではない。勝敗がはっきりつき、勝者がはっきりと決まると、今まで負けた側に付いていた人たちも、昨日までの事が何もなかったかのように、あっさりと勝者側になびく習性がある。東洋、西洋問わずこの傾向はあるものの、日本人も意外と敗者に冷たいというドライな一面があり、政治だけでなく、文化や、趣味趣向についても「オワコン」などと、流行らなくなったものには見向きもしないという特徴がしばしば見受けられる。。

戦国~江戸の転換期

戦国時代の末期は、武力を持った者が全てという、さながら北斗の拳の時代を彷彿とさせる様な、農民ですら槍、刀、鉄砲を所持する時代だったが、秀吉の太閤検地、刀狩令により、随分武器を取上げられ、厭戦気分が強くなっていたところ、関ケ原の戦いで、徳川の平和な世の中になる事が、確定するや否や戦は終わったとの気分が世の中に溢れ出し、戦(武芸)から、農業、商業へ人々の関心は一気に移り変わった。

和算ブーム到来

商人は金利計算をするのに、等比級数(点竄術)を学び、

農民(庄屋)は検地で得た農地の面積計算を行うため、幾何学、円周率(円理)を学んだ!

なんと、1627年には、江戸の数学者「吉田光由」が和算ブームの火付け役となる「塵劫記」を出版し、早くもベストセラーとなった。

関ヶ原の戦いから僅か27年後の事であり、どんだけ人々の関心が直ぐに戦から経済に向いたのかが判る出来事だ。

奇しくも、明治維新後わずか27年の明治27年に日清戦争で眠れる大国清を倒した戦いが起きたが、これも幕府が倒れたら、これからは西洋文明だ、といわんばかりに、軍事・医学:プロイセン、フランス、海軍・政治:英国、産業:米国、欧州諸国からどん欲に技術と知識を導入し、自分たち独自の用語に置き換えるまでに吸収している。やはり日本人は風向きの変化に敏感だ。30年一昔なんだね。。

江戸~明治の転換期

1868年明治新政府が設立されると、幕府はまるでこれまでいなかったかのように、譜代、外様の諸藩、商人、民衆は明治天皇及び新政府側に鞍替えした。それから、仏教⇒神道への転換が進み、廃仏毀釈令により、多くの貴重な寺や仏像、仏典が焼かれた。

 語学もオランダより、イギリス・ドイツが勢力を増すや否や英語とドイツ語の学習熱が高まり、エリート層の師弟はこぞって欧州・米国に留学した。

 産業も機械・化学はドイツ、フランスと一流どころから最新の技術者を惜しげもく、大金で雇い、急速に日本人の専門家を育成した。

 その結果、明治22年「大日本帝国憲法発布」、明治27年「日清戦争勝利」、明治38年「日露戦争勝利」を得られる程、政治、金融、工業、科学技術を発展させている。

敗戦~昭和の高度経済成長

1945年「昭和20年」8月に日本が米国に敗れると、軍による挙国一致体制から、経済復興、民主化へ大きく舵を切り、戦前の教育はなんだったのか?というほど、日本の政治・経済体制は変わり、困窮を経て日本は立ち上がった。

そして、1964年「昭和39年」にはアジア初の東京オリンピックを開催し、併せて首都高速道路、新幹線も開業した。敗戦から20年後には高度経済成長期となり、西ドイツのGNPを抜き、世界大2位の経済大国となった。

書いている私でも呆れる位、新体制への適応性と瞬発力を発揮し日本独自のものに改良して発展させるという日本民族独特の技を発揮している。

決まるまではぐずぐずと慎重に議論するが、いざ決まったらこの寝返りと全集中っぷりが日本人の特徴だろう。

つづく

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