サザエさんと振り返る戦後日本史

Tokyo

 日本人なら知らない人はいない国民的アニメであるサザエさんと、戦後日本の歴史を振り返って見たい。

サザエさんは、長谷川町子さんが、昭和21年から昭和46年まで新聞連載した漫画だ。連載当初は長谷川町子の故郷である福岡市に住んでいたが、東京世田谷区桜新町「最寄り駅 東急田園都市線桜新町」に引っ越して来た。連載当初はサザエさんは結婚しておらず、上京後フグ田マスオと結婚し、当初磯野家近くのアパートに住んでいたが、その後磯野家と同居することになった。

サザエさんの髪型は、当時はやっていたパーマをデコレートしたらあのようなだんご型になったそうであるが、戦前抑圧でお洒落も出来なかった女性が、戦後貧しい中ですぐお洒落に走ってパーマを掛けたのも戦後の雰囲気の変化の表れだ。サザエさんは24歳の設定だが、美人でおしゃべりで快活で、うっかりさんなのは長谷川町子女史の内面を反映しているのだろう。

当時は家長主義が、まだ強く残る時代であり、親父が、娘の嫁入りから、婚約相手まで強くグリップしていた。そんな、家長(波平)の言う事を聞かない娘(サザエ)の活躍が同世代で鬱屈としていた女性に刺さったのだと思われる。日本も太平洋戦争に負け、それまで幅を利かせてきた男性による軍国主義がコッパ微塵に打ち砕かれたのだ。かくして戦後はウーマン・リブ社会となった。

連載当初の昭和20年代といえば、コンプラも緩く、「キ◯ガイ」「ノイ◯ーゼ」と言った題名が付く話も当初は多かった。令和なら大問題だろう!

磯野家は5LDK庭付きの平屋で、110坪程の土地面積があるらしい。現在の坪単価250万円で計算すると2.6億円位の地価となる。磯野波平:山川商事、フグ田マスオ:海山商事 共に一部上場の会社に務めているとはいえ持ち家を維持するのは大変なはずだ。フネさん、サザエさん共に専業主婦をしているのは当時は当たり前かもしれないが、令和の今では考えられない事だ。

アニメ連載が始まった1969年(昭和43年)は高度経済成長真っ盛りであり、日本の戦後の一番良い時代だった。普通のサラリーマンにとって給与が毎年上がるのが当たり前で、税負担率が20%台という何とも羨ましい頃だった。波平さん、マスオさんは帰宅途中、チョイチョイ飲みに行っては寿司折をお土産に帰るという、昭和のサラリーマン像がかつて存在していたのだ。金欠の令和サラリーマンからすると率直に羨ましい!

サザエさんバス事件

 サザエさんの人気キャラクターである、「サザエ」、「カツオ」、「ワカメ」を無断で立川バス26台の車体に描いて営業するという事件が昭和26年、(1951年)に発生した。当時著作権という概念は希薄だったが、この事件を機に、「著作権」「肖像権」という考え方が世の中に浸透していくきっかっけとなった。

サザエさん症候群

 昭和50年頃になるとスッカリ国民的人気を得ていたサザエさんだが、日曜日の夕会6時頃に放送されていたため、その時間になると、明日の学校、仕事のことを思い出して憂鬱になってしまうという事を「サザエさん症候群」と呼ぶ様になった。令和の今でもこの法則は健在であり、楽しい休みもぐずぐず過ごしているとあっという間に過ぎ去り、通常の仕事や学校生活がすぐ目の前にやってくるという日常に連れ戻されてしまう傾向があるのは皆同じという事だ。┐(´∀`)┌ヤレヤレ

サザエさんの法則

日本シリーズでサザエさんの放送が延期になると、パリーグが勝つというジンクス「サザエさんの法則」が、5年連続で続いていたが、阪神タイガースがそのジンクスを覆し、38年ぶりに日本一に輝いた。令和5年11月5日 日曜日のニュース記事でもある。

磯野家の謎

すっかりお茶の間に浸透した、平成初期1990年代になると東京サザエさん学会より「磯野家の謎」と言う本が次々に発行され一大ブームとなった。知っているようで知らないサザエさんの裏側に皆興味津々だった。

波平さんの特技:地下鉄の音の形態模写

マスオさんの特技:まんじゅうの具材当て

等々

東芝一社スポンサー撤退

昭和43年、(1969年)よりサザエさんのスポンサーは、東芝(東京芝浦電機)が一社で担当し、「廻る、廻る東芝、光る、光る東芝」のコマーシャルは国民の耳に浸透した。そんなイケイケな東芝も内部のごたごたや、ウエスチングハウスの原発購入の損失で屋台骨が傾き、2016年に家電を外資に売り払った事を契機にスポンサーを撤退した。昭和生まれの私からすると考えもつかない様な時代になったものだと感じる。

それでは、エンディングにてさようなら~

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