神保町の由来は、お隣小川町に有り

日本史

 神田神保町は、古書店とカレーと喫茶店が有名な街だ。

古書店街が並ぶ神保町

 神保町のすぐ隣りにスキー、ゴルフ用品店がひしめく神田小川町がある。江戸時代初期に、「神保長治」という旗本の屋敷が小川町に有った。1676年に4代将軍、「徳川家綱」に御目見後、トントン拍子に出世し、1712年に佐渡奉行となったそうだ。

 神保氏と言えば、管領畠山氏「能登、越中、紀伊守護」の守護代として有名な家であり、戦国期には、畠山氏から独立し富山城辺りを縄張りにした小大名だ。長治の「長」の字は畠山氏から貰った偏諱だが、神保氏には代々長が付く人は多い。が、長治は、越中神保氏でも、紀州神保氏の系統でも無く、系図上甲賀の流れとなっているのが興味深い。長の字を付けているのは風習というか、正統な神保の系統だと箔を付けるためなのだろう。

 小川町一帯の長治の屋敷を通っていた小路が神保小路と呼ばれる様になり、明治5年頃に、神保町「表神保町、裏神保町」になったそうである。

神保裏小路 書泉グランデ from 江戸町巡り

 江戸初期から明治迄の200年間、神保氏が外堀内に広大な屋敷を維持できた事は、中々大変なことだ。さすがは管領畠山氏の家宰神保家である。この界隈を神保町と呼ぶのに相応しいと改めて感じる今日この頃だ。神保町から、皇居「旧江戸城跡」には歩いて5minの距離で、春の時期は桜が咲いて大変気持ちが良い(^^)/

皇居北の丸公園

又神保町は古書店街なので、日露戦争勝利後に、中国人やインド人留学生が集まり、東京の革命の拠点だったのは割と有名な話だ!

 中村屋のカレーも、元はインド人留学生を援助していたのが商売の始まりであるから、歴史とは面白い所で色んな繋がりを見せてくれる。

留学当時のチャンドラ・ボース中村屋のカレー

 

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