江戸時代の佐渡金山

日本史

徳川家康が1600年に江戸を開業した頃、江戸の人口は十数万人でしたが、江戸に匹敵する都市が日本海側に一つだけあった。

敦賀、直江津、酒田、境港、下関、、?

さて、何処でしょう?

・・・・・・・??

答えは、佐渡です。

1600年頃の佐渡は、ゴールドラッシュ真っ盛りであり、金を掘りに、人夫が集まり、人夫の住む宿の周りに、大工、鍛冶屋、飯屋、花街、精錬所、湊が自然発生し、江戸に匹敵する大都市が日本海に存在してた。

やはり、人間金に群がる生き物というか、金の魔力を感じてしまう。所詮金に転ぶのが人間と言うものだ。

世界遺産 佐渡金山跡

秀吉が天下を取った慶長年間が、産出量のピークであり、元禄時代頃になると産出量が右肩に下がった。

佐渡金山は、鎌倉時代から本間氏が支配していたが、1589年頃に上杉景勝と家老「直江兼続」が、これを攻略し、それを秀吉に献上したので、金山は本間氏→上杉→秀吉に渡っている。

沢根城主・本間佐馬助佐渡を攻略した上杉景勝
江戸時代の佐渡金山町

家康が天下を取ると、金山は幕府直轄となり、金山奉行として、大久保長安が赴任し、武田灰吹法で金の産出量を爆発的に上昇させています。

この時、長安が賄賂を相当多く取り、これが大久保忠隣に渡った事が問題視され、<大久保家失脚>の一因になったともされています。

佐渡を永く支配していた本間氏は、花の慶次では同族間で意地汚く争っていますが、庄内藩酒田を支えた篤実家「本間氏」とも遠い親戚に当たるので、佐渡本間氏の統治がどうだったかは、改めて調べたいと思います♪⁠~⁠(⁠´⁠ε⁠`⁠ ⁠

あとがき

江戸初期10万人を超えた人口も令和の現在は5万人程に落ち着いています。一回フェリーで行って見たいです。

「2024/2/4追記」

佐渡は今、地震で大変な状態だ!しかも爆弾低気圧の到来で、吹雪で大変だ。本間一族の粘り強さを発揮して、この冬を乗り越えて欲しいです。

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