「しくじり大名」唐津・天草「寺沢家」と島原「松倉家」

世界史

 江戸時代、しくじりをかました大名は数々あるが、最も酷かったのが、唐津・天草「寺沢家」と島原「松倉家」だ。

天草四郎 by 満島ひかり

 寺沢って誰?って方も多いと思うが、豊臣政権の少大名で、朝鮮出兵で功績があり、肥前名護屋近辺を拝領した。関ケ原で西軍から東軍に寝返ったのは割と有名。

寺沢家は唐津を拝領してたのか〜(知らんかった)。

初代唐津藩主「寺沢広高」は、火薬目当にキリシタンに接近し、キリシタン大名に改宗している。又関ケ原では西軍から東軍に寝返るフットワークの軽さを見せている。

徳川政権になってからは、あっさりキリシタンを弾圧する側に廻り、島原の乱の原因となった。宗教心は薄く、南蛮貿易上、キリシタンを上手く利用し、幕府から禁教令が出るとあっさりと弾圧側に廻った。(立ち廻り上手とも言える)

二代目の「寺沢堅高」は、領民を弾圧する一方だったので、領国の天草で小西家残党と不満を持った領民が結び付き、反乱が起こってしまう。反乱は、島原にも飛び火し、寺沢堅高だけでは、全く鎮圧出来ず、幕府が介入することになる。

しくじった人1 唐津藩 二代目藩主「寺沢広堅」

しくじり度:★★★★★(お家断絶)

顛末

 島原の乱鎮圧後、江戸へ出仕停止となり、何やかんや鬱となり自害した。子供がいなかった為、お家は取り潰しとなった。

パパ広高程の世渡り上手ではなく、領民を大切にしなかった。

 またスペイン・ポルトガルが天草四郎側の背後にいた為、外国勢力の介入を許す恐れがあった。大名として、いろいろダメ!な感じ(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠)

しくじった人2 島原藩 二代目藩主 松倉勝家重政

しくじり度:★★★★★★★★(お家断絶の上、斬首!)

顛末

 島原は4万石しかないのに、白亜の島原城を見栄のために作ってしまい、領民にを重税を課したため、耐えられず逃げたというもの。逃げた領民を見せしめのため、火を付け躍らせる「蓑踊り」を見物する鬼畜っぷり!

島原の乱の原因を招いた罰で、切腹も許されず、打ち首獄門後、お取り潰し。江戸期の大名で斬首されたのは彼だけだったはず。

お父さん松倉重政は筒井家の右近と呼ばれ行政家として優秀だったが草葉の陰で泣いてる。。

島原城

巻き込まれた人1 板倉重昌

顛末

 島原の乱の幕府討伐軍の長官となり、原城を攻めあぐね、鎮圧中に、鉄砲で撃ち抜かれ死亡した。

巻き込まれた人2 宮本武蔵

顛末

 対岸の肥後に住んていたため、功名を上げるべく幕府軍に加わって、一揆軍原城を攻めるも、石つぶてを投げられスネを負傷した。

しくじりの因果は廻る

空になった唐津城を、しくじった大久保忠隣の孫「大久保忠職」がめでたく拝領。歴史は巡る。。

大久保忠隣のしくじりはコチラ

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