江戸時代の一両(小判1枚)っていくら位なのでしょう?
諸説有りますが、大体10万〜4万円程らしいです。
江戸初期の慶長小判を鋳造した頃は、金山からの金の産出量が潤沢だったため、金の含有率も約85%と高い水準でした。この頃が小判の価値が一番高く改鋳の度に金の含有量が下がって行きます。
感覚的には、江戸初期で10万円、江戸後期(化政期)で4万位かなぁと思っています。
日米通商修好条約で、海外と異なる金銀交換レートを定めた為、大量の小判が海外に流出しましたが、それを是正する為、金の含有量を下げかつ大きさを極端に小さくした万延小判(写真右下)を発行しましたが、この頃には1万円程度迄価値が下がった様です。本小判は、例外としています。
ちなみに、一文の価値は15円~25円位とされていまして、江戸中後期位で位は2000文で一両に該当しますね。。何キロあるんだっていう。。(^^;)一分銀、一朱金が携帯用に流行る訳だ。
おまけ
1両 = 4分 = 16朱
1分 = 4朱
で金を管理していました。
1両(小判)、1分金、2朱金、1
朱金(一番小さい金貨2500円〜3000円)
この金貨の部両制に、江戸中期からは、銀貨も乗っかってきまして、金貨と銀貨が重さでなく、決まった枚数で交換できることとなり、大変便利になりました。
詳しくは南鐐2朱銀を御覧下さい。
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