小説「小江戸のお栄 第三話」おとみちゃん

歴史小説「小江戸のお栄」

看板騒動の一件で、北斎は、勝川派を破門され、独立を余儀なくされた。

「破門されてむしろ清々した。これからは好きにやらせて貰うぜ。」

と北斎は言い放ち、勝川春朗の名前を捨て独立した。すぐさま、狩野派や中国南蘋派の勉強に夢中になった。勝川派に居た事など無かったかの様に創作活動を始めた。

下絵を足でぐちゃぐちゃにしたお栄は、北斎より作業場(長屋)から追い出され、外で遊ぶ事を強要された。

遊び場を無くしたお栄は、兄の多吉郎の後ろをしつこく付いて廻った。

多吉郎は、妹と遊ぶのが恥ずかしく、お栄を巻いて逃げるのに必死だった。

お栄は竹垣に顔を突っ込んだり、ドブにはまったりして、多少のキズも厭わず、多吉郎の後ろを何処までも付いて廻った。

多吉郎の幼なじみの平太(町火消しの息子)が

「また、しょんべん臭いガキが、来やがった!ここは女子供がおままごとをやる場所じゃないんだぜ。」

と悪態をつきながらも、しぶとく諦めないお栄を面白がって、遊びの仲間に入れた。

平太、多吉郎、お栄と5、6人の仲間で、かくれんぼしたり、陣取り合戦をしたり、男の子さながらの出で立ちで、日が暮れるまで遊んだ。

お栄はアゴが少し出ていたので、平太から「アゴっぱち」というあだ名を付けられた。

廻りの子供達も容赦無く

「アーゴ、アーーゴ」とお栄を囃し立てた。お栄は囃し立てた子供等を一人一人執念深く睨み付け、「誰のアゴが出ているのかい」とアゴと言った事を謝らせた。

お栄は、ガキ大将の平太にだけには「アゴっぱち」と呼ぶことを許したが、私は不細工なんだと内心深く傷付いた。

「にいさま。栄のアゴは長く無いよね。お利口さんにしていれば、段々短くなるね?」

と多吉郎に訴えた。

「栄が、母さまの手伝いをすればきっと天神様(多吉郎が好きな学業の神)が願いを聞いてくれるはずだ。」

とお栄のボサボサの頭を優しく撫でた。

「判った!お栄お利口さんにする!」

とお栄は元気良く返事をしたが、口だけで家事の手伝いには全く興味を示さなかった。。

初夏の頃、平太が珍しく多吉郎を呼びに北斎の長屋まで寄った際、バタバタと激しい雷雨が降り出した。

「江戸百景 夕立」by太田記念美術館

雨は激しくなるばかりで、狭い北斎一家の所に居づらくなったため、同じ長屋の「おとみ」の部屋に逃げ込んだ。おとみの両親は魚の行商を行っており、日中は留守にすることが多かった。

おとみは長屋で評判の器量良しであり、多吉郎も平太もおとみの前では行儀良くした。

「男どもは、どいつもこいつもおとみちゃんも前では鼻の下伸ばしやがって!」

お栄は自分とおとみとの扱いの違いに歯噛みをしたが、お栄から見てもおとみの顏はハッとするほど可憐で、美しく整っており、自分はおとみと比べ随分不細工な存在だと認めざるを得なかった。

皆で熱心に遊んでいると、いつの間にか雨は止んでおり、日が暮れている事に皆が気付いた。

多吉郎がお栄を連れて、家に帰ろうとすると、名残り惜しいらしくおとみが多吉郎の袖をキュッと摑んだ。幼いながら、おとみは一人前の女であり、無意識にそんな事が出来る天然系魔性の女だった。

多吉郎もどきまぎしながら、「おとみ殿。世話になった。」と挨拶して別れたが、可憐な姿に後ろ髪を引かれる思いだった。

お栄は「おとみちゃん。又来るね。」と元気に挨拶し、それからちょくちょく「おとみ」の家に顔を出すようになった。お栄は天然系魔性の女おとみと何故か仲良くなった。互いに性格が違い過い過ぎるため、馬が合ったのだろう。

ある日、長屋の井戸端に子猫が棄てられているのをおとみが見つけた。

「お栄ちゃん。見て。かわいそうな子猫(黒猫)」が棄てられている。」

「私、飼いたい!」お栄が言うと

「お栄ちゃんの家では無理よ。絵が描けなくなるわよ。」おとみの言う通りだった。

「売れ残りの魚を私が食べさせる!」おとみに子猫は引き取られていった。

また、おとみに欲しいものを盗られてしまったお栄だった。

結局おとみの家に子猫は引き取られて、お栄はちょくちょくおとみの長屋に猫の面倒を見に通った。

黒い子猫は、おとみの売れ残りの魚介餌付けによりすこぶる健康に育った。近所の野良猫で敵う者は居らず深川の長屋一帯に縄張りを持つボス猫に成長した。

それから2年後

多吉郎は益々勉学に励んだ。親孝行で頭脳明晰な男が居るとの評判が深川近辺で広まった。これが男子のいない武家の耳に届き、養子になって欲しいと直々に相談があった。

北斎と嫁は

「さすがは吉次郎!俺の息子だ。」

と大層喜んで、絵で稼いだ金を惜しみなく多吉郎の武芸や学問の稽古につぎ込んた。

北斎も独自に雅号を名乗り、いよいよ江戸の画壇に乗り出そうとした頃だったので、家賃の安い、広くて多くの弟子が作業できるような長屋に引越すことが決まった。

お栄は、平太とおとみとも離れ離れになることとなり、またしても遊び相手を失った。

つづく

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