お栄が産まれた深川の長屋から、清澄白河の新しい仕事場に引っ越す前の夜、
辰治(北斎の弟子)にコッソリ呼び出された。
「お栄さん。あっしは、先生の所を離れて、神田近くの別の先生の所に移ることになりやした。この仕事箱は買い替えますので、お栄さんにお譲りいたします。」
「辰治~。うちでまた働いておくれよ~。辰治と離れるのいやーだ。。」お栄が駄々をこねた。
北斎はお栄が産まれからこの方絵に夢中で、お栄の事を放ったらかしにしていた。
辰治はお栄に取って父代わりであり、絵の師匠であり、良き遊び相手だったので、お栄にしてみればショックは大きかった。
「師匠には内緒ですが先生のところより、良い給金を出して下さる絵師から、千住(辰治の住まい近く)声がかかったのでございますよ。お陰様であっしも女と所帯を持つことができそうです。」辰治がやさしく諭した。
「お栄さん、あなたは、絵描きとしてよい眼を持っていらっしゃる。毎日精進すれば、良い絵描きになるかも知れません。絵描きになれなくても、どこぞの御大尽(お金持ち)が、嫁に貰ってくださりますよ。」
と慰めとも本音とも付かない風でお栄を慰めた。
多吉郎は武家、平太は鳶火消、おとみは花嫁修業と、北斎は日本一の絵師とお栄以外は己の夢に向かって、毎日懸命に精進していた。
お栄には打ち込めるものが何もなかった上に、将来に何の展望も見いだせなかった。
器量は人前以下、家事もまるっきしダメでは、嫁入りは正直難しい、私の先行きは暗そうだとお栄も薄々気付いていた。
かといって、女で画家になったものは、これまで一人たりともいない。
家に残っても北斎より僅かばかりの給金で下女のようにこき使われるのが関の山だ。
おやじどのを嫌いではないが、北斎の下僕として生きたいとは到底思えなかった。
引っ越し後
新しく移った清澄白河のだだっぴろい長屋の一室で、お栄は橋を眺めながら、辰治から別れ際に言われたことを思い出していた。
「お栄さん。あんたは眼はいい。お栄が赤ん坊のころに遊びで混ぜた絵皿の色はどれも奇麗で奇抜だった。」「さみしくなったら、丸、三角を描いて、お栄さんが思う一番奇麗な色を線をはみ出さずに塗ってみなさい。筆の握り方はこう。太い線と細い線の引き方はこう。」と基本的な線の引き方と彩色の方法を、お栄の手を取って別れ形見として丁寧に教えてくれた。
・・・・
しばらく、思い出にひたっていたお栄だったが、書き損じの紙を探してきて、丸、三角を描き、あまった絵皿の染料で彩色をしていると、心が少し慰められた。
・・・
お栄は彩色を繰り返す中で、単純な形でなく、奇麗な華や鳥を描きたくなったが、使いたい色は北斎の仕事箱の奥深くにしまってあり、北斎が家にいる際は、それが叶わなかった。
ひとり今お栄が描くことの出来る梅、烏、雀など単純な絵の練習を紙の余白で繰り返し練習した。
北斎はお栄が遊んでいると思い「いつまで落書きで遊んだいるんだ!銭にもならねぇことしてるんじゃねぇよ。さっさと汚れた絵皿と絵筆を洗ってきてくれ。」とお栄に声を荒げた。
「筆を洗って銭になるっていうなら、一体幾らくれるのさ?」お栄が問いかけると
「皿洗い、筆洗いじゃ、銭は出せねぇな。1日洗って2文(40円)だが、彩色ができたら、1枚10文(約200円)ってとこだな」と北斎は金に渋い返事を返した。
「あたいだって、紅やかんざしの一つくらい買いたいってもんだよ。銭くれよ~!くれなけりゃ、早く嫁に嫁いて出て行ってやる!」お栄は悪態をついた。
お栄には手持ちの銭もなく、しぶしぶ皿洗い、筆洗いをし小銭を稼ぎ、合間に、辰治の道具箱で彩色の練習をコツコツと続けた。
数日後・・・
北斎は仕事仲間の集まりで家を空けた。お栄はこの日を待っていたとばかりに、北斎がしまっておいた仕事用の紙と染料・絵皿を奥から引っ張り出し、前から描きたかった、「牡丹、アサガオ、丹頂鶴」を、思い切り紙にしたためた。
北斎が帰ると、広い仕事部屋に粗削りながら独創的で高価な絵具をたっぷり使った「牡丹」、「アサガオ、「丹頂鶴」の絵が飾られていた。
「誰がこんな奇天烈な絵を描きやがったんだい!?」とつぶやくも、北斎はなぜかその絵の前から離れられなかった。
「おやじどの。お栄の絵は何点だい?」お栄が聞くと
「15点ってところだが、色使いが面白れーな。おまけして25点だ」と北斎が返した。
お栄は落胆したが、北斎の面白い=凄く才能がある、という意味があることにお栄は気付いていなかった。
北斎は仕事の集まりで「宗理」という雅号を始めるに当り、広く弟子を集める!と宣言した。
噂は瞬く間に広まり、江戸中から腕自慢の絵師見習いが、この募集に飛びついた。
さてどんな面々が集まるのやら、、
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